餃子をめぐる父と息子のはなし。
家族でつくる餃子。家族の協力がなければ今日のひぃ坊家はありません。
ひぃ坊家の家族にまつわるストーリーをご紹介いたします。
父と餃子
家族のための餃子
餃子はみんなが大好きなもの。ひぃ坊家の餃子はお店で食べる餃子ではなく、家族で焼いて食べる餃子だと考えています。だからひとくち食べて「ジューシー」と叫んだりとか、にんにくがガツンと効いていたりとか、そういうわかりやすさはありません。鹿児島を代表する餃子
僕は鹿児島の川辺で生まれ育ち、ひぃ坊家もそこにあります。だから鹿児島を代表する餃子にすることを、ずうっと願っています。理想形は、鹿児島の旨味をギューッっと詰め込んだ餃子。肉、野菜、小麦、すべてを地元産にすることが夢、今はまだその途中です。ひぃ坊家の餃子は食べられた
「ひぃ坊家の餃子を食べたら、他の餃子を食べられない」と言ってくださるお客様が多いのです。「お肉を食べられない子どもが、ひぃ坊家さんの餃子は食べられた」という声もいただきます。ありがたいことです。さらにきちんと作らなくちゃいけない、と思います。清涼感、細やかさ、辛抱強さを忘れずに。

息子と餃子

日々ちゃんと
うちはチェーン店ではなく個人店。細くとも息の長い餃子屋として、それに伴った数のお客様が食べてくださる餃子です。だから流行り廃りとは関係なく、日々ちゃんとした餃子を作りお届けすることが自分の役割です。
地味にうつくしい餃子
家庭で誰が焼いてもおいしく作れるレベルの餃子を目指しています。そうすると作る過程では、至極当たり前のことを当たり前に行うこと以外に方法がないとわかりました。不思議なもので、どこかで手を抜いたらとたんに味が濁っていく。だから当たり前が感じられる餃子。目立つ餃子より、地味にうつくしい餃子でありたいんです。
ぱくっと食べられる餃子
創業時から毎日餃子を作って、毎日餃子のことを考えています。変わらないテーマは「普通の餃子ってなんだろう」。日々の食事を大切にする人のための餃子。日本の食卓に馴染む日本の餃子。
ある意味、純粋な餃子。ウケ狙いで作られれた餃子ではない、当たり前の餃子。
餃子の夢を見ることがあります。透明な餃子。自然にぱくっと食べられる。そういう餃子を作っていきたいです。